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執筆者の写真熊澤剛

与えられるものと見い出すもの。



仕事とは「作業」なのか、「稼業」なのか、「使命」なのか。

働くこととは「苦役」「罰」なのか、「自己実現」「社会貢献」の為なのか。


前回の記事でご紹介した「建設現場の三人の男の話」。

三人の男のレンガ積みという仕事の目標は同じです。

どれだけずれを少なく積むのか。

日当たりどれだけのレンガを積むのか。

いつまでに完成させるのか。

そう、皆さんご存知のQCD(品質、コスト、納期)に沿った目標です。


こうした基準や目標は、働き手がそれぞれが勝手に定めると、一定の成果を得ることができません。一般的には仕事を指示する立場の者から与えられるものです。


これに対して、三人の男のそれぞれの仕事の「目的」は、各々が自分で考えたり、考えていなかったりした結果です。


この違い、お分かりいただけるでしょうか?

自分の仕事の「目標」は外部から与えられることが多いのですが、自分の仕事の「目的」は、与えられるものではなく、自分で見い出すしかないのです。


今月、四半期、今年度、三カ年の様々な「目標」に追われる日々。

無理な目標を掲げた挙句に、心身を患ったり、コンプライアンスに違反したりといった悲しい事案は、枚挙に暇がありません。


その目標を達成した先にある、あなたの「目的」は何なのでしょう?

そうした目的を持たないまま、与えられる目標をこなし続けることは、果たして幸せなのでしょうか?

そんなことはいつまでも続けていけるものなのでしょうか?


この、真面目過ぎて問われることの少ない根源的な命題に正面から取り組むことで、働き手にとっての本当の働き方改革が始まるのです。

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