何の為に働いているか、仕事の捉え方は大きく3つに分けられると考えています。
以下に有名な「建設現場の三人の男の話」を引用します。
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中世ヨーロッパの町のとある建設現場に働く三人の男がいました。
通りかかったある人が彼らに「何をしているのか?」と尋ねました。
一番目の男は「レンガを積んでいる」と答えました。
次に、二番目の男は「金を稼いでいるのさ」と答えました。
最後に、三番目の男は「町の大聖堂を作っているんです!」と答えました。
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通りかかった人から見ると、三人の男は同じようにレンガ積みを行っています。
ただ、三人の男の内面は全く異なるものであることがわかります。
一番目の男は仕事を「作業」と捉えています。
彼にとっては同じ作業を繰り返すことが仕事なのでしょう。
二番目の男は仕事を「稼業」と捉えています。
彼はより稼げる仕事を探し続けることでしょう。
三番目の男は仕事を「使命」と捉えています。
彼にとってレンガ積みの作業は大聖堂を作るという大きな目的の一部なのです。
我が身に振り返ってみていかがでしょう?
多分ご自身の仕事の捉え方は、この3つのどれに近いかはあったとしても、どれか1つのみに当てはまるということはないとは思います。
同じように、日々の業務や、担当しているプロジェクトの活動などが、この3つのどれか1つにのみに当てはまるということもなく、その時の状況で揺らぐものではないでしょうか?
また、歴史的に見れば、古代においては労働は奴隷が行う苦役、中世キリスト教においては罰でした。
近代から現代においては、自己実現や社会貢献から、社畜、ワーキングプアといった労働観の多様化が進んでいます。
このように多様化し、また状況によってゆらぐこともある仕事の捉え方や労働観ではありますが、唯一不動の違いがあります。お気づきでしょうか?
それが何なのかは次回のブログで。
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